釣り人人口増加論
数年前のバスブームに釣り人人口が爆発的に増加し、あちこちの釣り場を埋め尽くしたものの、現在は一部の地域を除いては落ち着いた感じになっている。減った様に見えるが、一方的に釣りを止めていった人が増えたのではなく、増えてはいるが過去に比べて釣り人人口の上昇率が低下していると考えた方が良さそうである。根拠になりそうなものは幾つかある。
バスタックル・雑誌・情報も生き残りを賭けた乱世に突入!
最近になって気付いた事だが、当時は色んな商品が店に並び、買い物客が必死に買いあさっていたが、今では在庫があふれたり、変なルアーはワゴンセール行きである。
理由は後で述べるが、バスブームに乗って創刊した本・雑誌も今や数えるのみ。あの当時も何かバスに関係する話題を載せれば売れていた感じがする。情報も真偽が分からぬ噂等が
流れているが、現在はある程度はっきりしている。これらを実際目の当たりにしてから、初めて気がついたのである。
大学の経済論みたいだが、何故このような状況が生じたか考えてみる。
流行に乗せられ・釣れないから・飽きた
まずはこの理由。世間の流行に乗せられて始めたものの、「魚を釣る」という意識より、「野外で釣れようが釣れまいが竿を振る、等流行の遊び・ファッション感覚」が先行していたと思う。当時は「若者がデート感覚でおしゃれして4WDに女乗せて高価な竿買って釣り場で二人一日中竿を振っている」光景を見たが、今はあまり見ない。本当はいない方が釣りの邪魔にならなくて嬉しいが・・・。多分、当時は流行だったから今はすたれているのであろう。
次に、話題の釣り場へ行くがどこへ行っても人だらけ、おまけに竿を出しても釣れない。他の方法や釣れる工夫が思いつかない・面倒で不愉快、という思いで辞めていく。その他、マナーの悪さに地元住民・農家とトラブルを起こし、釣り場が釣り禁止になった上、悪者扱いされて逆恨みして釣りを辞める。嫌な辞め方だが、この場合は被害者の方が迷惑である。
これではまるで、「子供のわがまま」みたいである。経済大国日本の中で生まれた驕れきった国民の代表である。
選択眼が鋭くなった・需要の変化
手軽な遊びでなくなりつつある
これは「タックル論」で述べるべきかもしれないが、一応関連つける意味で。
現在釣りを続けている人達は当然釣りが好きである。そんな人達は常日頃からより沢山、大型を釣る為に研究を重ねている。という事は、釣れるルアー・釣り場の情報に関しても敏感である。そんな人達は当然ながら、釣るために効率の良いルアーを求める。さらには自ら納得行くルアーを創り出す。そんな風潮が高まっている今、いい加減な形や釣れないルアーは売れずに在庫・ワゴンセール行きになり、ブーム時には中途半端なルアーを売っていた業者は潰れていく。つまり、「釣れる」という実績のないルアーは淘汰されていくのである。そして「ヒットルアー」と呼ばれて広まり、各釣り人のタックルボックスに必ず入るようになる。竿やリールも現代の工業・科学技術の粋を集めて高価だが新素材を用いている。その反面、ルアーが難しい物に見え始めたり、ルアーに付加価値が付きまとい高価になる。そうなれば始めたい人は、「難しいのなら嫌や。わからんと使って釣れへんかったら金がもったいない」
と敬遠がちになったり。子供に至っては、「何もかもが高い」とばかりに釣りに集中するどころか、小遣いを計算する「寒い」遊びになる。自分みたいに「安物」揃えて楽しむ事ができるならいいが、今時の子供はTVとかでバスプロを見て同じ様な物を
欲しがるからな。それは子供が人の物見たりCMで欲しがる子供特有の欲しがる現象か・・・。
また、子供達への「遊び場」として成立しなくなる。ただでさえ現代は子供が伸び伸びと遊べる場所や自然が少ない。池や川は子供達の(昔の自分達の)遊び場であった。考えすぎかもしれないが、自分は釣り道具があまりに高価すぎると小さい子供には入手しづらく、金銭的に余裕ができる年頃まで参入年齢が高くなっていくのではないかと思う。そして、その時は自然を知らずに育っているから自然をあまり感じないとか、自然環境を何とも思わなくなるのではないか。早いうちから自然に囲まれていると自然との付き合い方・感受性・知恵が感覚的に学べるのではないのかと思う。
まとめ
そういえば、「バス釣りは手軽な遊び」という言葉がブーム時ではうたい文句の様だったが、今では消えつつあると思う。「バス釣り」のみにあらず、「釣り」という物は手軽にできるからこそ「趣味」であり、「遊び」であると自分は思う。それが証拠に「家族でアウトドア。キャンプとバーベキューと釣り」は今でも健在である。
結果、「釣り」を「専門的」と考えるか、「みんなの娯楽」と考えるかによって
各人は「楽しい」・「遊びやすい」かどうかを考えて釣りを始めたり、続けていったりするのではないかと思う。